津軽丸(2代目)型
戦後初めて建造された貨客船「洞爺丸型」の代替を目的に作られた津軽丸(2代目)型。
 計画当初6隻建造予定であったものの、航空機がほとんどの現在と違い北海道〜本州輸送は青函航路が主な時代。輸送需要が予定よりも上回っていたために十和田丸が追加建造され、計7隻就航しました。
津軽丸
八甲田丸

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起工:昭和38年12月9日
進水:昭和39年4月15日
竣工:昭和39年7月31日
就航:昭和39年8月12日
終航:昭和63年3月13日
全長/全幅/深さ:132.00m/17.90m/7.20m
満載喫水:5.20m
総トン数:5,382.65トン
信号符号:JRRX
製造所:新三菱重工 神戸造船所
主機:ディーゼル 川崎MAN 8台
試運転最高速力/出力:20.93ノット/12,475PS
航海速力:18.2ノット
車両積載台数(普通自動車):12台
貨車積載台数(ワム型):48両
積載人員:寝台…20名、グリーン指定席…96名
      グリーン自由席…200名、普通…970名
 津軽丸(2世)の2番船として昭和38年12月に新三菱重工・神戸造船所にて起工、翌39年8月に就航。
昭和63年3月青函航路廃止までの24年間、函館-青森間で乗客や貨車を運び続けました。
航路廃止後暫くは函館桟橋に係留されていましたが、現在は船内を改装のうえ青森港(元青森桟橋)にて「メモリアルシップ 八甲田丸」として連絡船の歴史を後世に伝えるべく展示されています。

 現存している津軽丸型(2世)として、外観が就航当時に一番近い状態で保存されています。


八甲田丸のシンボルマーク
八甲田山系と水蓮沼をイメージされています。
松前丸
大雪丸

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●起工:昭和39年7月7日
●進水:昭和39年10月30日
●竣工:昭和40年4月20日
●就航:昭和40年5月16日
●終航:昭和63年1月6日
●全長/全幅/深さ:132.0m/17.90m/7.20m
●満載喫水:5.20m
●総トン数:5,375.99トン
●信号符号:JPBI
●製造所:三菱日本重工 横浜造船所
●主機:ディーゼル 三井B&W 8台
●試運転最高速力/出力:21.22ノット/13,350PS
●航海速力:18.2ノット
●車両積載台数(普通自動車):12台
●貨車積載台数(ワム型):48両
●積載人員:寝台…20名、グリーン指定席…96名
      グリーン自由席…200名、自由席…970名
 津軽丸(2代目)の4番船として昭和40年に就航。昭和63年3月の青函航路廃止時まで活躍していました。
竣工時から昭和41年初めまでは現在の塗色とは違い、濃い緑色ではなく黄緑色でした。
僚船も似たような色合いであったためか塗り替えられたようです。

 ◆その後は…
東京ホテルシップに売却、千葉県浦安のディズニーランド付近に係留されホテルとして使用されるはずでしたが、諸事情により中止に。
その後は長期間造船所に係留されていましたが、平成8年にハヤシマリンカンパニーが購入、改装のうえ長崎でホテルシップとして余生をすごしています。


大雪丸のシンボルマーク
大雪山系の熊をイメージされています。
摩周丸

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●起工:昭和39年12月2日
●進水:昭和40年3月18日
●竣工:昭和40年6月15日
●就航:昭和40年6月30日
●終航:昭和63年3月13日
●全長/全幅/深さ:132.0m/17.90m/7.20m
●満載喫水:5.20m
●総トン数:5,374.85トン
●信号符号:JHMI
●製造所:三菱重工 神戸造船所
●主機:ディーゼル 三井B&W 8台
●試運転最高速力/出力:21.15ノット/13,250PS
●航海速力:18.2ノット
●車両積載台数(普通自動車):12台
●貨車積載台数(ワム型):48両
●積載人員:寝台…20名、グリーン指定席…96名
      グリーン自由席…200名、普通…970名
 津軽丸(2代目)の5番船として昭和39年12月に三菱重工・神戸造船所にて起工、翌40年6月に就航しました。
就航から昭和63年3月の青函航路廃止までの24年間なにごともなく… といきたい所なんですが昭和59年に貨物船として運行中に謎の火災があり、乗務員数名が死亡するという痛ましい事故が起きています。

 その後は…
就航直後に函館・青森で行われた青函博で展示館の一つとして、会場であった函館ドックに係留、青函博終了後は旧函館桟橋にて「メモリアルシップ摩周丸」として青函連絡船の歴史を後世に残すために展示されています。


摩周丸のシンボルマーク
道東にある摩周湖をイメージして描かれいます。
羊蹄丸

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●起工:昭和39年10月8日
●進水:昭和40年2月20日
●竣工:昭和40年7月20日
●就航:昭和40年8月5日
●終航:昭和63年9月18日
●全長/全幅/深さ:132.0m/17.90m/7.20m
●満載喫水:5.20m
●総トン数:5,375.93トン
●信号符号:JQBM
●製造所:日立造船 桜島工場
●主機:ディーゼル 三井B&W 8台
●試運転最高速力/出力:21.16ノット/13,325PS
●航海速力:18.2ノット
●車両積載台数(普通自動車):12台
●貨車積載台数(ワム型):48両
●積載人員:寝台…20名、グリーン指定席…96名
      グリーン自由席…200名、自由席…970名
 津軽丸(2代目)の6番船として昭和39年8月に日立造船・桜島工場にて起工、翌年8月に就航しました。
 昭和63年3月に青函航路廃止後は、函館・青森でおこなわれた青函博に協賛し同年9月まで十和田丸とともに暫定的に運行されていました。暫定運行期間夜間函館停泊時には簡易宿泊施設にもなっていました。

 その後は…
日本海事科学振興財団(船の科学館)に売却、平成4年にイタリアで行われた「国際海と船の博覧会」に日本のパビリオンとして派遣。その際船体色が白とブルーのツートンに塗る変えられました。
博覧会終了後は内装工事などをし、平成8年3月に東京・お台場にある「船の科学館」にて「フローティングパビリオン・羊蹄丸」として展示されています。


羊蹄丸のシンボルマーク
蝦夷富士とよばれる羊蹄山をイメージされています。
十和田丸 2004年1月5日追加

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●起工:昭和41年2月15日
●進水:昭和41年6月23日
●竣工:昭和41年10月16日
●就航:昭和41年11月1日
●終航:昭和63年9月18日
●全長/全幅/深さ:132.0m/17.90m/7.20m
●満載喫水:5.20m
●総トン数:5,397.59トン
●信号符号:JMUK
●製造所:浦賀重工業
●主機:ディーゼル 川崎MAN 8台
●試運転最高速力/出力:21.56ノット/13,400PS
●航海速力:18.2ノット
●車両積載台数(普通自動車):12台
●貨車積載台数(ワム型):48両
●積載人員:寝台…20名、グリーン指定席…96名
      グリーン自由席…200名、自由席…970名
 津軽丸(2代目)の7番船として昭和41年2月に日浦賀重工業にて起工、同年11月に就航しました。

 上記の羊蹄丸と同じく昭和63年3月に青函航路廃止後は、函館・青森でおこなわれた青函博に協賛し同年9月まで暫定的に運行されていました。暫定運行期間夜間函館停泊時には簡易宿泊施設にもなっていました。
十和田丸、点検整備以外に青函航路以外のところを走ってました。東京で開かれた北海道関連のイベントに参加する為に晴海まで行っています。

 その後は…
が購入、改造のうえ「ジャパニーズドリーム」と改名されクルーズ船として国内で運行していましたが約2年後に運行を中止、フィリピンの某社へ売却、カジノ・ホテル船「デルタ・フィリピン・ドリーム」として余生を過ごしています。


十和田丸のシンボルマーク